当寺の由緒は、真宗大谷派(東本願寺・お東)の門末寺院で、宗祖『親鸞聖人』の教旨に基づき、教義宣布の道場として門信徒の教化に努めております。
その歴史は、永禄二年(西暦一五五九年)越前の僧、浄祐が河内の国に移り、当時の郷士、藤井家(当寺、住職の祖先)と縁を結び一宇を建立し、(当時は曹洞宗門末)、代を経て慶長年間、本願寺「教如上人(第十二世)」を信奉し、後、東本願寺に属し、宗祖『親鸞聖人』の真影を受け、爾来、今日に至っております。
沿革は昭和五十三年、当地より北西に約五百メートルの巽東一丁目十六番七号(現巽東・伊賀ヶ公園)の旧寺地より移転。平成十五年十一月十七日、門信徒各位の多大なるご協力を賜り、現本堂、庫裡、法要室、納骨堂等の再建をみるに至りました。
そして、平成十六年には西大阪、阪神地域の更なる教化を願い、兵庫県西宮市内に西宮支院を、平成二十三年には大阪府堺市内に堺市院を設け教宣に邁進致しております。
次いで、平成二十三年度勤修の、宗祖『親鸞聖人』七百五十回忌法要の記念事業と共に、門信徒各位のご要望と、脈々と受け継がれてきた法燈が後世に伝えられることを念じ、平成二十一年七月、当寺境内地北側に第二法要棟『慈恩舎』(法要室、第二納骨堂等)を建立致しました。
当寺地に移転してより、門信徒各位のご支援により、多くの新しき門信徒とのご縁を賜りました。深く感謝致す次第です。
今後とも当寺法務員一同、より一丸となって奢らず、真宗教宣の流布と門信徒教化に精進致す覚悟でございます。
何卒、温かいご指導と、厳しいご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
第十九世 住職 釋慈慧